由緒ある霊泉、赤倉温泉の生い立ち
親鸞聖人が越後に流罪、五智国分寺に封じられた時、妙高山(当時は須弥山(しゅみせん)といわれた…須弥山とは仏教語で世界の中央に位する霊なる山の意)に登り、下山の途中、谷あいで野獣の湯あみする姿を見つけ、霊泉を知りこれを里人に伝えたのが、赤倉温泉の始まりであるといわれております。
続いて戦国時代には越後の巨将・上杉謙信が、傷病兵の治療に用いております。
江戸末期には、越後高田藩主・榊原候により温泉湯治場の開発が始まり、佐渡より数万本の大竹を運び込み、約10kmの道程に敷設、文化13年(1816年)、現在の地に引湯が成功しました。以来、コンコンと尽きることのない霊泉が浴室を満たしております。
温泉の泉質は硫酸塩・炭酸水素塩泉で、浴しては外傷(主に切り傷)に卓功があり、漂白力のため美肌を保ち、美人が生まれるとして古くから多くの人に親しまれてまいりました。
美しい妙高山の山麓に広がる高原の眺めは、北は日本海に浮かぶ佐渡ヶ島を遠望し、南は浅間山の噴煙も見られるほどの雄大さであります。近代美術の先覚者・岡倉天心や明治の文豪・尾崎紅葉など赤倉温泉ゆかりの名士も多く、軽井沢より早くから高級避暑地としてその名を知られております。
時の流れとともに、近代建築の並ぶ高原のリゾートに成長し、春は花、夏は涼みに、秋は紅葉、冬はスキーと自然の四季とたっぷりのいで湯は、心身に安らぎを与え、必ず御満足いただける高原の温泉地でございます。加えて赤倉温泉の周辺には観光地もたくさんあり、有意義な旅の企画を多種多様に組むことができる中心地でもございます。
日本で唯一、ロビーに大仏壇の安置してあるホテル

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| 蓮如上人木像 | 親鸞聖人木像 |

親鸞聖人が国府から信州戸隠へ参詣の途中、袈裟を掛けたとされる松がこの妙高高原にあります。現在の松は三代目ですが、その一代目の松を赤倉ホテルがいただき、お立ち姿を彫り大仏壇に安置してございます。有縁講はこの仏壇前のロビーにて行なわれます。
赤倉ホテルは、文化年間の前・亨保7年に高田のお殿様である榊原候の内命を受け、温泉開発の下調査をするために、赤倉の地に居を構えましたのが始まりであります。下り文化13年(1828年)、赤倉の地に引湯が成功し、その功により現在の地を殿様より拝領いたしました。以来今日まで200年の歴史を綴っております。
赤倉温泉の中央に位置し、広い芝生と白樺の梢に囲まれたホテルは、高原の情緒をもち、当地方随一の信用と設備をもち、加えてきめ細かいサービスには定評があります。室数は68、その収容力は320名まで可能であり、大浴場には親鸞聖人発見の霊湯が、コンコンと尽きることを知らず湧き出ております。
加熱などは全くしていない温泉100%の掛け流し温泉であります。
歴代の経営者は、仏法に対する信仰心があつく、ホテルのロビーには他に例のない大仏壇が安置され、ご来宿者のどなた様でも朝夕手を合わせていただける珍しいホテルであります。
妙高山の自然の野に育つ山菜の数々、近くにある日本海でとれたばかりの海の幸を取り揃えて供する食膳の賑わいに、赤倉ホテル自慢のオリジナル料理は必ずや御満足いただけるものと存じます。
きっかけは名物おばあちゃん
有縁講のご縁となったのは平井ショウさんです。ショウおばあちゃんは慶応元年元旦に、岐阜県海津郡海津町の伊藤家の六人兄弟の末っ子として誕生しました。伊藤家は代々仏門に帰依した徳信家でありその血筋を継ぎ、ショウおばあちゃんも人一倍の信心者に育ちました。
東京の軍人さんに嫁ぎ、名も伊藤から平井に変りました。軍人相手に結婚の条件は、お参りを認めることであったそうです。平井家の了承を得て嫁ぎ、子育てが終わると、「聖人の意志はお東もお西も同じです」と築地、浅草の東西本願寺に足繁くお参りをいたしました。
昭和19年太平洋戦争の敗色が濃くなり、娘の嫁ぎ先の赤倉ホテルへ疎開、戦後赤倉を中心として数多くのお寺の報恩講に参拝いたしました。
そして各お寺の御住職をはじめ御同行の皆様に、それはそれはお世話になりました。戦後の混乱期、衣食住すべて不足の折ながら、報恩講で何日も泊めていただきました。
ショウおばあちゃんが95歳で天寿をまっとうしてから3年目に、娘であり赤倉ホテル社長の村越静枝さんが、お世話になった方々へ少しでもお役に立つことがあればと、各お寺の御住職に相談いたしましたところ、『赤倉ホテルには立派なお仏壇があり、コンコンと湧き出る温泉がある。御縁のある方々に一日ゆっくり温泉に入ってもらって身体の汚れと、お参りで心の汚れをおとしてもらったら』と教えられました。御縁のある方、有縁の方の集いから有縁講と名付けられました。
平井ショウおばあちゃんが報恩講に参加させていただいたときは、戦後のこととして自分の食する米を持っていった故事にちなみ、有縁講の講費は報恩の料金で勤めさせていただいております。
ご縁でできたお念仏の輪
| 1日目 |
| 13:00〜 お日中、聞法 15:00〜 入室、入浴 17:30〜 夕食宴会 20:00〜 慰安会 |
| 2日目 |
| 7:30〜 晨朝 8:30〜 朝食 11:30〜 昼食 13:00〜 出発 |
お日中、晨朝は参加者全員で合掌、お参りの時間です。
参加者一人ひとりの口から伝わる口コミで今では報恩の期間中、5,000人を超えるお念仏の輪が広がっております。集まる範囲は新潟県内全域、信州、上州は高崎から北陸は金沢といった有縁の集いが出来上がっております。これを聞いて少数ですが、東京や京都、滋賀などからも有縁の方々にお越しをいただいております。
赤倉ホテルとしましても、昔お世話になった有縁の集いには常に感謝し、御報恩にすすんで参ります。末広と成りの御念仏であってほしいと念願しております。
合 掌
※本願寺新報(本願寺新報社発行)に掲載された記事の一部を簡略化したものです。
母の意志を継いで
毎年報恩講を営む赤倉ホテルの会長 村越 厚文さん
「お客さんから『ありがたかった。来年もよろしくね』と言ってもらえるのが、一番うれしいですね」新潟・妙高高原にある赤倉温泉。その中でも200年近くの歴史をもつ赤倉ホテルでは、毎年11月になると約一ヶ月間「有縁講」と呼ばれる報恩講が営まれ、お念仏のみ教えを喜ぶ人々であふれる。篤信な念仏者であった祖母の平井ショウさんが、生前、聴聞の場を求めて歩き回った際、多くの人々にお世話になった恩返しにと、母であり同ホテルの先代社長であった静枝さんが、昭和34年から始めた。
「いつまでたっても頭があがらない」といわれていた母も今では故人となり、その意志を引き継いで手腕をふるう。「改築の際、母の一言でロビーに仏壇を残すことになった時は設計上にありませんでしたが、今はここに安置しておいてよかった」と。
参加費経営を度外視した「有縁講」だが、「お年寄りにゆっくり温泉につかってもらい、法話を聞いてもらいたい」というホテルの心持ちによって、法友の輪はこれからも広がっていくことだろう。








